あの人の生活と制作

短編アニメーション『高野交差点』完成しました。次回作構想中。

『在野研究ビギナーズ』という本を読んだ。

在野も何もそもそもアカデミズムとは無縁だ。そんなおれでも読み物として楽しめたし、なんならあやうく自己が啓発されかけた。

様々な独立系研究者の活動のあり方を紹介する本。
読む前に見かけたAmazonレビューで、寄稿している在野研究者たちがスーパーマンばかりで参考にならない、というようなものがあった。確かにみんなすごい。限られた時間や予算をやりくりして研究を続ける執念と能力は誰にでも備わっているものではない。
とはいえ彼/女らの生態は十人十色で、アニメーションを個人制作しているチンピラからしても、大いに感情移入できる活動形態の方たちもいる(その方たちはあんまりすごくないという意味ではない)。
 
この本の軸となっている「在野」対「在朝」という構造を、おれは「個人制作」対「商業」として読み替えながら眺めていた。もちろん、学問であれアニメーションであれ、今更このような対立をことさら煽り立てる必要はないかもしれない。特にアニメーションではその垣根が徐々に壊されているように思うが、だからこそその境界が興味深いものとして映る。おれ自身一応両方の経験があるものとして、今後は個人制作の領域からその汽水域をかき乱す表現ができないかと模索してもいる。
この対立構造に対する各執筆者たちの態度も多種多様だ。基本的には誰もが大学や研究機関の意義を認めつつも、学会の閉鎖的なコミュニティに嫌気がさしたという人もいれば、合間のインタビューでは大学教育を全否定する意見もあった。
 
また多くの在野研究者には、ここに「食い扶持を稼ぐための仕事(あるいは生活)」という避けて通れない要素が絡んでくる。研究活動が収入につながればそれに越したことはないが、中々そううまく事が運ばないのが現状だ。ならばせめて専門と関連性のある仕事につく方が良いのか、そうでないなら研究時間を確保するために裁量労働制の職場を探すべきか、はたまた……。
全執筆者の事例を読み終えた上で、また自分の現在の制作と生活のありようを鑑みるに、これはもう偶然に任せるしかない、とおれは結論した。目的や問題意識が見つかりさえすれば、あとは自前のリソースをどう配分するか、いやもっと言うと何をどこまで犠牲にできるか、に尽きると思う。そうなると生活のありようも、そうでしかありえないようなところへ自ずと定まるのではないか。勝手に研究(おれの場合は制作)しようとするような輩は、やはり何を差し置いてでもするだろう。
確かにここについては本を読んだところで何の参考にもならない。ただ、自分にも実現可能そうな活動形態の人を見つければ勇気はもらえる。
 
読み終わってから初めて帯の紹介文を目にし、思わず吹き出した。
最強の学者くずれたちによる現役のノウハウが、ここに集結。
「最強の学者くずれ」いいなあ。おれも「最強のアニメーターくずれ」になろう。