あの人の生活と制作

短編アニメーション『高野交差点』完成しました。次回作構想中。

なんやこの絵は

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 これはたしか、色々悩んでいた頃に無理やり描いた絵。

 見ようによっては細部は美しいし、なかなか頑張って描いてはいる。しかし全体の演出意図がよく分からない。よく分からない。

 まあ悩んでなくてもいつでもそんな絵ばっかり描いているが。

 この点は本当に自分にとっての課題で、時々ぼんやり思っている。つまり、表現と技術の関係だ。理想としては、あくまで望む表現のために技術が必要なのであって、技術を見せびらかすために表現をするのではないはずだ。

 絵を描き始めたころ、僕は技術にしか興味がなかった。描くことそのものによって満たされるから描いていただけで、描き上がったものにはそれほど興味がなかった。だから当然、表現なんて自覚的に考えたこともなかった。やっとこの一、二年、ネットでの活動をパタリと止めていたあいだに、徐々に自分の本末転倒ぶりに思い至った。と同時に、それは作家としての才能に欠けている、という決定的な哀しい自覚を得たということでもある。

 しかしむしろ、その無力感こそが嬉しくて楽しい。どうせ駄目なんだから周りは気にせず、やるべきだと感じたことを死ぬまで続けるしかないな、と諦めているのだ。

 それに、技術だより(それも三流以下)のよく分からない絵であっても、描かれた以上は、人はそれを何らかの表現として受け取る。そしてそれをどのように感じるかは、僕のあずかり知らぬことだ。作為的な演出にだって限界はあるのだ。だからあまり気にしすぎることはない。

 表現と技術、その狭間でまた次の絵を描くだろう。