あの人の生活と制作

短編アニメーション『高野交差点』完成しました。次回作構想中。

keep/自律给我自由

ここ数ヶ月「keep」という中国のフィットネスアプリが気に入ってしまい、毎日欠かさずなにかしら体を動かしている。

他のこういうアプリをあまり使ったことがないが、なんとなく「keep」はかなりちゃんとしたもののように思う。

ウェイトトレーニング、ジョギング、ウォーキング、ヨガといったカテゴリが並び、部位や負荷ごとに様々なメニューがある。しかも全ての動作に映像と詳しい解説がついているし、運動中は音声で陥りがちなミスを糺してくれたりカウントしてくれたりもする。

これらに従い運動を終えると、その内容に応じて「成長値」というものが溜まっていきレベル的なものが上がる。他にも、小さな目標を達成することでささやかなご褒美が得られるような仕掛けが様々あり、モチベーション維持に一役買っている。

体重はさほど変わっとらんが、どことなく引き締まってきた気はする。もちろんその前から継続して気まぐれ筋トレはしているので、アプリのおかげで突然効果が出たなどどいうつもりはない。ただ、ゲーム感覚でアプリ内のメニューに従いそれをこなしていくと、今まであまり使っていなかった筋肉も動員されているのがわかる。そう考えるとやっぱりアプリのおかげかもしれない。

 

ところで今、「ゲーム感覚」という言葉をおれがとてもポジティブな意味で使っていることに自分で違和感を抱いた。

これは言うまでもなく、本来やりたくないようなことであるにもかかわらず、まるでゲームのように気軽に進んで行える、ということを讃えたい時に使う言葉であろう。「ゲーム感覚で人を殺す」のように、無責任さや軽薄さ、実感のなさを表現する場合もあるがそれは今はええねん。

いずれにせよ、おれは普段ゲームを全くしない。少なくともこの10年来、ついゲームをやりたくなる、なんて心情に陥ったことがないほどに。おれにとってゲームはその程度のものであるにもかかわらず、なぜわざわざそれをもってして「すすんでやりたくたること」を喩えたのか。

言葉を実感から離れたところで無自覚に振り回しとるやないか。

毎日の軽いトレーニングはおれにとってさして苦ではない。おそらく毎日コツコツとゲームしろと言われる方がよほど辛い。

おれにはむしろ、トレーニング感覚でできるゲームが必要かもしれない。

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