生活しよう

奈良県という所から来ました。自主制作アニメーション制作中でございます。

滅多に使われない透明水彩で描かれた絵

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 これも随分昔の絵だ。そういえばこのところ色の着いた絵を描いていない。

 絵の具はもともと滅多に使わないし、今はパソコンが壊れている。もっぱら紙と筆ペンボールペンだ。

 以前はほぼ輪郭線だけで空間を描こうとしていた。それはそれで悪くないが、画面が白くて寂しいから、トーンをつけたくなった。しかしボールペンで中間調を微細に表現するには、執拗にタッチを入れなければならない。そしてそれは面倒だから、筆ペンで一気に黒ベタにしてしまう。すると全体の階調を大胆に整理しなければならず、明暗のバランスに気を遣う。

 なるほど、風が吹けば桶屋が儲かるというわけか。

二人の顔の間にあるのは猫の毛

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 左の奴の体の斜め具合とか四肢の太さとか、絶妙に好きだ。

なんやこの絵は

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 これはたしか、色々悩んでいた頃に無理やり描いた絵。

 見ようによっては細部は美しいし、なかなか頑張って描いてはいる。しかし全体の演出意図がよく分からない。よく分からない。

 まあ悩んでなくてもいつでもそんな絵ばっかり描いているが。

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雫と聖司

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 昔描いた絵。我ながらちょっと恥ずかしい絵だなと思う。天沢聖司はこんなんじゃないかなあと思いながら描いた。

どっかの誰かに宛てた手紙

 日記を書くとき、ときどき戸惑う。「だ・である調」か「です・ます調」のいずれによって書くべきなのか。

 要するにこれは、誰に向けて書くのかという心持ちの問題である。もっと言えば、目下のところ誰に向けても書いていないから、なんとなく首が座らない、という問題でもある。

 しかし、日記とは本来そのようなものではないか。どっかの誰かに宛てた手紙ではないか。

 一編の文章中においては、いずれかに統一されているのが好ましい、という以外に何らの指標もない。

 こうしてまた一つ、どっかの誰かに宛てた手紙がネットの海を漂い始めるのでした。

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 本日は、チラ見せ鎖骨クソださVネック塩顔メガネ男子。これはただの直感による推量だが、この絵は四月二十五日あたりに描かれたんじゃなかろうか。かなりはっきりとなんとなくだが。

次の瞬間、裸足でふぁさっと

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 降り立つ。きっと気持ちが良い。

 眼下に広がる景色から深く息を吸い、もったいぶるように長く吐く。

 唐突に大声が出したくなって、まずは控えめに「あー…」とつぶやいてみる。あたりを見回す。誰もいない。再度「あー」と言ってみる。自ずと声がでかくなる。そしてもう一度。もはや叫んでいる。高まってきた。これはあれを抑えきれないかもしれない。

 そしてついに、思わず「×××××」と咆哮する。

 なんて気持ちが良いんだ。あなたはそう思いながら下山した。

 (×××××は任意の文字列)